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吉野とわたしの不思議なご縁

山深い吉野とご縁がつながるまでのおはなし

· 宿のこと

今回はめちゃくちゃ長いです。

わたしの忘備録も兼ねている故。

春から吉野山の上のお宿で女将をやらせていただくことになったわけですが、

その経緯と不思議なご縁のおはなしです。

本当に、世の中は不思議なところでつながっているなぁと思います。

10年~5年前のわたし

わたしは岡山生まれですが、大学は東京へ出ておりました。

今のわたしからはあまり想像がつかないと思いますが、

思いっきり理系でした。

幼いころからマッドサイエンティストにあこがれていたふしがあり(笑)、

化学、とくに高分子を専攻していました。

大学院にもいきましたが、大学と同じ高分子を学んでもつまらないので、

技術経営(MOT)という、専門職大学院の修士をとりました。

簡単にいうと、MBAの技術者バージョンみたいなかんじです。

わたしが吉野を知ったきっかけ

当時のわたしの専攻の同期には、女子が6名だけいたのですが、

今思えば全員かなり頭がおかしい…いえ、尖った子でした。

世の”女子大生”のイメージとはほど遠い、ぱっと思いつくところで以下の要素をもつクレイジーなリケジョたち。

『つるまない』『流行に無関心』『化粧しない』『得意分野に関して異常な知識量』『全員いじめ(ハブられ)経験あり』『自分が好きなことに対してとことん貪欲』『ヒール?スカート?なにそれおいしいの?』

あの環境は、わたしにとってとても心地よい環境でした。

『変わっている』ことを個性としておもしろがってくれる友人って、

あの歳ごろはあんまりいませんでしたからね。

そんな学生生活のおわりに、なんとなく「奈良に住んでみたいな~」という気分で

奈良の会社に行くことにしたわたし。

(就活中に震災があり、給料とか見栄えとか考えるのが嫌になっていた、好きなように生きたいと思いはじめたきっかけだったのかもしれない。)

そんなわたしに竹馬の友が話したのが、

『吉野、金峯山寺の蔵王権現』のはなしでした。

「あれはすごい。奈良にいくなら絶対見た方がいい。

 私が知る中で一番衝撃だった仏像は吉野の蔵王権現。」

最近まですっかり忘れていましたが、最初に私が『吉野』ということばを聞いたのは

このときでした。

なつかしいなぁ。

はじめての吉野

そんなこんなで奈良にきて、

やっと吉野に行けたのは3年目の春でした。

(自動車免許をもっていなかったので、免許がとれるまで

 なかなか南部には行けなかったのです。)

3年間ずっと気になり続けていた蔵王権現とご対面したそのときのきもちは、

なんとも例えづらいものでした。

呆然と見上げるわたし。

じっと見下ろす蔵王権現。

なにもかも見透かされているような不思議な畏怖の念。

懺悔を終えてお堂を出たとき、なんだか自分の中にあった

よくわからない“わだかまり”がなくなったような、

晴れ晴れとした気持ちだったのを覚えています。

『吉野、すきだなぁ。』

このときわたしは、直感でそう思ったのでした。

じぶんの宿づくりに向けて動きはじめる

その後、わたしは「じぶんの宿をつくる」ことに向けて具体的に動き出します。

理系理系した大学生活をおくりながらも、実はずっと私の夢は

『じぶんの好きな土地で、じぶんの宿をつくる』

ことだったんです。

誰にも言ってなかったけどね。

宿をつくるにはお金がいる

お金をつくるにはまずは働かなきゃいけない

早く儲けるには自分の価値を買ってくれる企業に入らなきゃいけない

わかりやすく差別化された価値をつくるにはただの理系じゃだめだ

じゃあ、日本ではまだあまり浸透していないMOTの修士をとろう

そんなかんじの初期の人生プランでした。

そしてうまい具合に専攻をおもいっきり発揮できる企業に入れ、

加えてMOTで学んだこともすぐに使える部署に配属。

ドヤ顔で新入社員のころからいろいろと活躍させていただきました。

これはこれでとてもおもしろかったなぁ。

大学院時代は普通の理系の大学院生よりも過酷な環境だったので、

それなりに苦労もして若干心を病みかけたりしたのですが、

(専攻分野の研究、学会発表、企業との共同研究の経過報告+MOTのたくさんの講義とレポート、GW課題、FS・CS発表、同期のスーパー社会人のおじさんたちからの叱咤激励と基礎教育、などなどで睡眠第一のわたしが昼夜逆転睡眠時間2~3時間の生活でした。バイトをする時間もなくひたすら貧乏だったので、もやしとかキャベツとかパンの耳とか食べてました。加えて就職活動元彼のストーカー化東日本大震災と、世の中くるしいことばっかりだよ!!!状態でした。)

おかげで社会人になってからは超絶余裕でした。

「なーんだ、会社ってこんなに楽して評価してもらえるんだ。

 楽勝すぎる。」

なんてめちゃくちゃ調子乗ってましたね(笑)

中村さんとの出会い@早島

3年ちょっとたって、コツコツためてきた貯金もたまってきたので

宿の夢にむけて最初に起こした行動が、

岡山県の早島町で開催された2泊3日の

『地域でなりわいをつくる合宿』(タイトルうろ覚え)

への参加でした。

そこでわたしは全国的に有名ゲストハウスオーナー、中村功芳さんと出会います。

後で知ったのですが、この合宿も有名な合宿だったようで。

思い立ったらすぐ行動派のわたしですから、ネットでみつけてすぐに申し込んだのですが、

すぐに定員いっぱいになってしまう合宿だったみたいです。

今おもうと本当に運に恵まれていました。

合宿の内容もあって、参加者は地域おこし協力隊や社会起業家系ばかり。

会社員で参加したのはわたしひとり。

しかもわたし、まだ何もしてない。

ものすごい場違い感…。(fooあるある)

そんな合宿のときのわたしの全力のプレゼンが以下。

奈良がすきなんです!でもみんなの知ってる普通の奈良じゃない、

 ”観光地奈良”のうしろに渦巻く”あやしくてポップな奈良”がすきなんです。

 わたしの夢は『じぶんの宿をもつこと』で、

 今はその宿で、いろんなあやしくて面白い奈良を伝えることがしたいんです!

 (そしてあやしい奈良の例として吉野の話をしつこいくらいに話す←)」

そんな暑苦しいわたし話をきいて、中村さんが

「じゃあ、ゲストハウス開業合宿というのを別でやってるからおいでよ。

 これもなにかの縁だし、無料でいいよ。」

とお誘いいただいたんです。

それまで孤独に夢を追いかけていた私にとって、その言葉は涙が出るほどうれしかった。

物件探し開始

中村さんに「ゲストハウス開業合宿までに、できれば物件いくつか目星つけて、その図面をもっておいで。使いやすいかどうか見てあげるから。」と言っていただいたので、

奈良にかえってからさっそく物件探しをはじめます。

これもなんやかんや苦労し、主に精神面でズタズタになったりよくしていたのですが

割愛。

なんやかんやで晩秋のゲストハウス開業合宿までに

なんとか一軒だけ図面を手に入れたのでした。

ゲストハウス開業合宿@有鄰庵

この合宿での学びは、本当に大きかった。

たくさんの高めあえる仲間にも出会えたし、頼りになる先生方にも出会えた。

物件探しをしてきた中で、怪訝な顔をされることの多かったわたしのビジョンに対して、

『おもしろい!それはこれまでにない日本で最初の宿になるよ!』

と賛同してもらえたことはとてもうれしかったし、さらにその内容を高めることができた。

具体的にしなければならない準備や手続き、よくある宿オーナーの苦悩などなど、

第一線で活躍する人から直接話をきけたことはとても貴重な知識になりました。

ちなみに、がんばって手に入れた図面の物件はダメダメでした(苦笑)

心折れまくる1年

物件探しを再開した序盤。

まさかの超高物件が決まりかけます。

しかもわたしの大好きな斑鳩(いかるが)で!

※クレイジー聖徳太子好きが高じて法隆寺がすきになり、法隆寺のそばに住みたい一心で斑鳩に引っ越したわたしです。(法隆寺の近くならなんでもおk!ってことで家賃2万7千円のとても寒いアパートに今もまだ住んでいます。でもしあわせ。)

が、まさかの契約書に印鑑を押す直前で破断。

これは本当に心が折れた。

本当に、あとは押印だけだったから、ここから話がくつがえることはないだろうと思ってたんだ。

だから他にあたってた物件は全部ことわってた。

わたしに使ってほしいと言ってくれていたオーナーさんの物件もあったけど、心を鬼にして全部ことわった。

建築関係の知り合いにもたくさん根回しして、

デザイン関係のともだちにもHPづくりやフライヤーづくりを頼んでた。

契約決まったらすぐに動けるように、ああしよう、こうしよう、とたくさん計画してた。

それが、さいごにオーナーさんから「やっぱりやめる」と言われ、

「本当にもうしわけない」と泣かれ、

「やっぱりあんたの運営方法じゃうまくいかないと思うんや。

 おんなの子ひとりじゃ無理やと思う。」

ととどめを刺された。

さいごの一言に、わたしも思わず泣いた。

本当にかなしかったし、くやしかった。

そんなこんなで、それから後も物件があがってはなくなり、あがってはなくなり、

地域のご老人からはたびたび説教をうけ、

知人から何気なく言われる「本気出してないだけじゃないの?尻に火がついてないんだよ」

などの言葉にダメージを受け、(普段の精神状態では気にもしないのですが)

だんだん自分がなにをしているのかわからなくなっていました。

他の会社の吉野での商談&視察になぜか同行

くだんの物件がなくなって以降、

そのときに間に入ってくださっていた不動産会社の社長さんが

たびたび私のことを気づかってくださっていたのですが、

ある日「吉野に行くから一緒にいかない?」とお誘いをいただきました。

『何しにいくのかな~』と思いながらも、

吉野に行きたいという気持ちだけでホイホイついていったわたし←

ついていったら斑鳩のお土産やさんで売る商品の商談と視察でした。

またしても場違い感←(再:fooあるある)

でもとっても楽しかった。

今まで観光客という立場でしか会ったことのなかった吉野の人と、

同業者の立場で会うことができたはじめての機会でした。

インバウンドに力を入れている老舗旅館の女将のおはなしなんかも聞けて、

吉野の人たちの吉野への想いがよくわかった貴重な機会だったなぁ。

ふくさんと吉野の製材所

なぞの吉野視察から時をそんなにたてずして、

またしても吉野に行くことになります。

日頃からよく泊まりに行ってはお世話になっていた、

御杖村にある一棟貸しの古民家宿『おもや』のオーナーふくさんから

吉野の製材所へ一緒に行かないかと連絡がきたのです。

oh. Yoshino again.

そしてここでもホイホイ吉野へ行くわたし←

吉野のエジソンとの異名を持つ喜多製材所の喜多さんとお会いして、

おもしろいおはなしをたくさん聞きました。

ヒノキのアイデア商品を製造現場でたくさん見せてもらって、

材木の卸市場も連れて行ってもらって、

吉野の国栖(くず)という地域で昔から盛んな割り箸製造の現場にも連れて行ってもらって、

家業として割り箸をつくり続けていらっしゃるお宅にお邪魔してコーヒーまでいただいてしまって。

この日、わたしは吉野の材木事業にかんして少しだけ詳しくなることができました。

これも今思えば不思議なご縁です。

なりわい合宿同期からの思わぬ吉野メッセージ

そんなこんなななかでも

相変わらずずっと物件を地道に探し続けていたわたしですが、

ある日、いろんなきっかけとなった

例の『地域でなりわいをつくる合宿』の同期からメッセージがきます。

今度から、吉野にコンサルに入ることになったよ。

 もしまだ物件が決まってなかったら、吉野なら協力できるかも!」

えええええ!!!

即行メッセージを返して、大阪に話をききに行きました。

まずは「どういうことですか?!」っていうところから。

はなしを聞いてみると、どうもあの合宿の時に

わたしがあまりに熱心に吉野についてプレゼンしていたせいか

『あやしい吉野』のイメージがずっと頭に残っていたそうで、

そんなときにたまたま「吉野のコンサルに入りませんか?」という案件をもらい、

「あの吉野か!おもしろそうだからやります!」となったそうな。

※かなり詳細はぶいてます

そんなこんなで、

「初夏に他のメンバーと一緒に吉野に視察に行くから、よかったら一緒にいく?」

とお誘いをいただき、またしても金魚のフンのごとくついていったのでした。

吉野町役場の方の案内で、吉野の簡易宿泊施設を中心にいろいろとみせていただきました。

ちなみに私以外はみなさんスーツで堅そうな職業の方々。

またしても場違い感←(再々:fooあるある)

このときに、国栖のお寺の副住職さんがB&Bをはじめたという

「清谷寺」さんに連れて行っていただきました。

奈良に来てからすっかり寺好きになったわたしですから、

それはもう盛り上がってしまって←

「近々泊まりに来ます!!!!」と鼻息荒く宣言して、斑鳩へかえったのでした。

吉野ディープツアー

ちょうど梅雨もおわりかけた頃のこと。

大学時代の後輩が奈良に遊びにくるというので、案内をすることになりました。

「何か要望ある?キーワードとか。」ときいたところ、

キーワードは『滝行』

ふむ。

修験道やな。

ということは吉野やな。

ということでまた吉野に。

先日おせわになった吉野町役場の方にもお世話になって、

吉野町以外にも吉野地方をぐるっとディープツアー。

そして宿泊は先日「近々泊まりに来ます!!!!」と暑苦しく宣言した清谷寺さん。

会うかた会うかた、吉野の人は本当に親切でやさしくて、

本当に吉野はいいところだなぁ。もっとたくさんの人に知ってほしいなぁ。

と改めて思ったわたしでした。

それにしても、改めて書きあげるとめちゃくちゃ吉野行ってたんだなぁわたし。

※ちなみに斑鳩から吉野は車で1時間半ほどかかります。全然近くないです。

そして事は起こる

夏~秋にかけてなにかと駆け回っていたせいか

この間吉野への足は遠ざかっていたのですが、

12月中旬、運命のメッセージがきます。

送り主は例のお世話になった吉野町役場のかた。

「吉野山にあるゲストハウスの住み込み女将を探しているんですけど、

 もしまだ物件お探しでしたら一度おはなし聞きに来られませんか?」

ぬ、ぬおおお…!

「 い き ま す 。」

奈良県庁にて

その翌日、とある丹波の知人が「奈良に面白い人に会いにいく」というので

ちゃっかりついていくことに。

(こんなんばっかですね。ちゃっかり太郎と呼んでください。)

行先は県庁。

もう慣れっこですが、場違い。

奈良南部東部移住促進室のとってもエライ方々にお会いさせていただきました。

そしてわたしの夢も聞いていただいて。

そしたら、

「跡継ぎがいなくて困っている旅館は南部にごまんとあるから、

 そこで働かせてもらって跡継ぎになったらどうや」

と、次から次へと宿の名前が…!

うわああなんてこった!急にイージーモードか?!

というところで話の腰を折り、昨日の話を。

もちろんその宿のこともよくご存じで、※ちなみに吉野は奈良南部に入ります。

「あそこのオーナーええやつやで。ええ話やんか!」

と背中を押していただきました。

雇われ女将ってところに少し不安を感じてはいたけど、なんか元気出てきたぞっ。

そして決める

数日後、吉野町役場の方に立ち会ってもらって宿のオーナーさんに会い、

おはなしを伺って、わたしもおはなしさせていただいて、

心が決まりました。

目指す方向が一緒だから、この人となら、雇われ女将でもできる。

そう思えたんです。

もう迷いはありませんでした。

「わたしの宿をもつ」という夢はまだ実現しませんが、

今の私は「吉野のためにはたらきたい」というきもちが夢の実現よりも大きい。

その気持ちに素直に従ってみようと思いました。

そんなこんなで長くなりましたが、これから女将、がんばります!

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