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山伏女将

>女将は山伏女将に進化した!

· ひとりごと,宿のこと

毎度書いているような気がしますが、お久しぶりです。

ふーです。

すっかり夏も真っ盛り、

吉野山三大行事である蛙飛び行事(奈良三大奇祭)もとっくに終わり、

気づけばもう8月。

 

女将は今までなにをしとったんや!!

とお思いでしょう。

 

はい。

得度受戒(とくどじゅかい)して山伏になってました。

↑山伏参考画像

得度受戒って?

得度受戒とは何なのか、ご存知でしょうか?

簡単に言うと『得度』と『受戒』をして僧侶になることです。

と言うと、

「え!出家?!てことは尼さん?!女将は?!」

と言われてしまうのですが、出家はしていません。

在家(ざいけ)です。

…さて、

ここまでの内容で「ちょ待て。それ何語?」

と思ったそこのあなたのためにもうちょっと詳しく説明しましょう。

得度とは

得度というのは、仏門(ぶつもん)に入ることです。

仏門に入るを検索すると、類語で【世を捨てる】とか出てきますが

わたしは捨ててませんよ。

仏門に入るのは

在家(俗世にいる)のまま入るか、

出家(俗世を捨てる)して入るかの二つの方法があります。

わたしは在家。

ちゃんと女将もしてます。

このことを半僧半俗(はんそうはんぞく)とも言います。

受戒とは

受戒というのは、仏教徒として守らなければならない(かい:いましめ)をけることです。

わたしは十善戒(じゅうぜんかい)を授かりました。

≪十善戒≫

・不殺生(ふせっしょう:生き物を殺すなかれ)

・不偸盗(ふちゅうとう:盗むなかれ)

・不邪淫(ふじゃいん:男女の道を乱すなかれ)

・不妄語(ふもうご:偽りを言うなかれ)

・不綺語(ふきご:ふざけたことを言うなかれ)

・不悪口(ふあっく:悪口を言うなかれ)

・不両舌(ふりょうぜつ:仲たがいさせるようなことを言うなかれ)

・不貪欲(ふどんよく:むさぼるなかれ)

・不瞋に(ふしんに:怒るなかれ)

・不邪見(ふじゃけん:よこしまな考えをいだくなかれ)

この戒をやぶると、いわゆる破戒僧(はかいそう)となり破門されるわけですね。

ちなみに一説には天狗破戒した山伏の姿です。

修験道行者

とまぁそんなこんなで、女将は人知れず吉野修験山伏となったのです。

KAM INNのある吉野山は日本の山岳信仰『修験道』の生まれた地であり、

KAM INNはその総本山、金峯山寺(きんぷせんじ)まで歩いて10分という稀有な立地。

日常的に山伏がそこここで生活をし、修行をしている。

 

まるで100年ほど昔から時が止まっているような不思議なところに住んでいたら、いつの間にかわたしも山伏になっていました。

ちなみに、正式には山伏ではなく、わたしたちは行者(ぎょうじゃ)です。

修行者という意味です。

わたしたちが山に修行に入るとき、わたしたちは山伏になります。

山に伏す者という意味です。

修験道には経典がありません。

行者は実修実験(じっしゅうじっけん)という思想のもと、修行の中で接する山や自然のすべてのものから神仏の教えを学び取るのです。

 ※ちなみに『修験』という言葉はここからきているんですよ

言葉で教えてもらえたらラクチンなのですが、自然は言葉では伝えてくれないので頭と五感を使わねばなりません。

視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、すべてで感じ取り、その意味を考える。

頭も体もつかう、非常に疲れることですが、きっとこれが本来の『生き物』のあり方のなのでしょう。

自分で経験し、自分の頭で出した結論というものは、だれかにもらう助言や慰めより何より、自分が本来求めていた救いに近いものなのだろうなぁと思います。

おなじ修行をしても苦しいと感じたり、心地よいと感じたり、美しいと感じたり、ただただ痛みのみを感じたりと、きっと人それぞれ感じ取るものはちがうでしょう。

そのときの感覚が、そのときのその人に対する自然からの教えであり、それをきちんと感じ、受け取ることで現代人が失いつつある感性を呼び戻し、精神世界において自らを救える力となるのではないかと思います。

修験道は極めて原始的な信仰です。

全世界の信仰の始まりはどこも自然信仰から始まっていますが、そのかたちが今も残っているのは非常に少ない、いやほとんど残っていないといっても過言ではありません。

修験道に修験道という名が付き、組織化したのは平安中期ごろと言われていますが、おそらくそれよりずっと昔から、このような信仰は日本にあったのだろうとわたしは思います。

だって、吉野に住み始めて切に感じるのが、

自然はとても強く恐ろしく優しく賢いものだということだからです。

 この山々には神仏がいらっしゃる。

 すなわち、あそこはわたしたちの住む世界とは違う世界なのだ。

古代の人々が自然を恐れ敬う『信仰』の原点の感情が、

今の私にはとてもよくわかるような気がします。

ふー(法名は惠遍になったよ)

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